巻数 |
顔写真 |
書名と出身地 |
内容 |
131
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無着成恭 |
1927〜
山形県
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「ぼくの青春時代」 |
教育者。中学校の教師として生活綴方運動を実践。文集『山びこ学校』は民間教育の原点ともいわれ、さまざまな世代に読み継がれている。 |
132
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片山潜 |
1859〜1933
岡山県
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「歩いてきた道」 |
キリスト教社会主義の立場から社会運動実践の道に入る。ロシア革命後は共産主義の立場に転じ、日本共産党・アメリカ共産党の結成に力を注ぐ。 |
133
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ちばてつや |
1939〜
旧満州
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「みんみん蝉の唄」 |
漫画家。高校在学中の1956年にデビュー。「あした天気になあれ」「あしたのジョー」などの作品により青少年たちに圧倒的な人気を呼んだ。 |
134
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澤田美喜 |
1901〜1980
東京都
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「黒い肌と白い心
サンダース・
ホームへの道」 |
社会事業家。外交官夫人として海外生活をおくる。戦後、エリザベス・サンダース・ホームを設立し孤児たちの養育に生涯を捧げる。 |
135
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浪越徳治郎 |
1905〜2000
香川県
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「おやゆび一代」 |
指圧師。1940年に日本指圧学院を創立。「指圧のこころ、母ごごろ、押せば生命の泉わく」のキャッチフレーズで人気を博す。 |
136
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山高しげり |
1899〜1977
三重県
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「母子福祉四十年」 |
婦人運動家。1924年、婦人参政権獲得期成同盟会の結成に参加。戦後も婦人の地位向上に取り組み、参議院議員として母子福祉法の制定に尽力。 |
137
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大島渚 |
1932〜
京都府
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「大島渚1960」 |
1954年に松竹大船撮影所に助監督として入所。「青春残酷物語」で強烈なインパクトを観客に与え、革新的な映画運動の中心的な存在となる。 |
138
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羽仁五郎 |
1901〜1983
群馬県
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「私の大学」 |
歴史学者。マルクス主義歴史学の大系樹立をはかり「日本資本主義発達史講座」の刊行に尽力。戦後は、鋭い文明批評により多くの読者を獲得。 |
139
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小汀利得 |
1889〜1972
島根県
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「ぼくは憎まれっ子」 |
ジャーナリスト。「中外商業新報」(日本経済新聞の前身)に入社後、経済部長、編集長、社長を歴任。戦後はテレビの「時事放談」などで活躍する。 |
140
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赤松良子 |
1929〜
大阪府
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「志は高く」 |
政治家。労働省の婦人局長、国連大使、文部大臣などを歴任。女性の地位向上のため、男女雇用機会均等法の成立にも尽力。 |
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