〈特色〉
●公害反対運動の軌跡をつぶさに伝える原資料
月刊ミニコミ誌『公害トマレ』のテスト版0号から最終第100号までの全号と、以後不定期に作られた藤原版、四日市版(合計9号)までを集成・復刻。1970年代の、市民による公害反対運動の様子をつぶさに伝えます。
*2007年7月24日は、裁判の初判決の日から35周年に当たります。
●生活者の視点で「公害」を記録したミニコミ誌
裁判で争点となった科学的な分析や、公害被害の現状記事、詩や写真、「日誌」欄など、現地での運動と裁判をめぐる幅広いできごとを収録しています。
●四日市公害ばかりでなく各地の環境問題にも言及
長良川河口堰建設問題、豊前火力発電所設置問題、秩父セメント公害問題など、他の地域での住民・市民運動にも連携しており、当時の全国的な反公害・環境保全運動の端緒と広がりを捉えることができます。
●懇切丁寧な解説を付す
第1巻巻頭には、「公害トマレ」が発刊された時代背景から、反公害運動の軌跡、今日から見た運動の成果と歴史的な位置づけを解説しています。
「公害トマレ」と「四日市公害と戦う市民兵の会」について
◎「四日市ぜんそく公害訴訟判決」は、日本の公害史の転回点となったといわれている。だが、当時の地域住民・被害者の力は弱く、その公害反対運動に“助っ人”、“黒衣”としてかかわったのが名古屋大学、三重大学、岐阜大学の学生たちであり、公害裁判に対しては、科学・技術的分野での研究・資料作成などで患者側弁護団に協力して、運動を創っていった。
◎この運動には学生以外にも労働者、主婦といった人たちも加わり、「四日市公害と戦う市民兵の会」と名付け、『公害トマレ』の題の月刊ミニコミ誌を発行した。この会には名古屋大学工学部助教授・吉村功(現・東京理科大学教授)や、当時三泗地区労の澤井余志郎(現・公害を記録する会代表)らが参加していた。
〈各巻構成〉
第1巻 |
0号(テスト版=1971年2月23日発行)〜24号(1973年3月20日発行) |
第2巻 |
25号(1973年4月25日発行)〜48号(1975年3月25日発行) |
第3巻 |
49号(1975年4月25日発行)〜72号(1977年3月25日発行) |
第4巻 |
73号(1977年4月25日)〜100号(1979年7月25日発行) |
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※藤原版 1号(1979年12月5日発行)〜5号(1982年8月15日発行) |
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※四日市版 1号(1980年1月30日発行)〜4号(1982年7月24日発行) |
〈推薦します〉
四日市再生の出発点に 宮本憲一
肉声と教訓がここにある 伊藤章治
「環境再生まちづくり」に繋ぐべき市民運動の貴重な記録 寺西俊一
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