林京子論 「ナガサキ」・上海・アメリカ

黒古一夫 著
装丁 司 修
全1巻・A5判・上製・総220頁
本体:2,400円+税
978-4-284-10002-1 NDC 910.268
2007年6月刊
日本図書館協会選定図書


〈特色〉

●多年にわたり「八月九日・ナガサキ」を見つめ、描き続けてきた作家・林京子。いま、彼女はまったく新たな歩みを始めている。作家その人と作品に長く向きあってきた著者が、文壇登場作「祭りの場」から説き起こし、時代と作品の流れ、思考と精神の行方を熱く論じた書き下ろし作家論。


〈目次〉

●第 I 部 
「ナガサキ」=被爆を生きる
第一章 原点―三〇年目の原爆
第二章 消えない「傷」の在処(ありどころ) ―『ギヤマン ビードロ』の意味
第三章 八月九日の「語り部」
第四章 母と子・夫婦・そして家族
第五章 被爆者の「現在(いま)」―「鎮魂」と「老い」
●第II部 
上海
第六章 もう一つの原点・上海
第七章 三六年目の上海
第八章 「見果てぬ夢」―上海
●第III部 
アメリカへ、そしてその後
第九章 アメリカ合州国へ
第一〇章 トリニティからトリニティへ
第一一章 希望・そして「幸せな日日」
※林京子「略年譜」/林京子「著書目録」/あとがき


〈推薦します〉

立松和平(作家)

 時代が人間を苦しめる方向に向かっていく時、その時代と斬り結ぶのが文学の役割である。文学者も生活人としては沈黙の中に生きているのだが、その生活の中から人間として静かに語りだす。それが文学ということなのである。文学の言葉の本心は、時として地下鉱脈のように埋蔵されている。それを掘り出して語るのが批評家の仕事である。
 上海で暮らした少女時代から、長崎で原爆に遭い、戦後はアメリカと出会った林京子の作品を、黒古一夫は丹念にたどり、時には分類し批判もして、熱く語っていく。結局のところ、それは私たちが生きてきた時代を論じることである。長い作家生活を通して一度もぶれることのなかった誠実な作家に向かっていく黒古一夫の精神もまた、一度も横にぶれることはなかったのである。

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