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監修:岩本憲児・高村倉太郎
編集委員:岩本憲児・奥村 賢・佐崎順昭・宮澤誠一
●B5判・上製・函入・約1,200頁
●本体28,000円+税
ISBN978-4-20084-4 NDC R778.033
<特色>
- 日本と世界各国の映画作品、監督、俳優などの人名・事項約4,100項目を50音順に収め解説した本編、映画製作についての概説、図版資料・年表・参考文献などを収めた資料編で構成。
- 劇映画からアニメーション、記録映画(ドキュメンタリー映画)、実験映画、映画史、映画理論の領域まで幅広くカバーする。
- 映画研究者、評論家など第一線で活躍している83名の専門家が執筆。丹念な調査と最新の情報をもとにした、精度の高い記述内容です。
- 本編は、重要度に応じて6段階にランク付けし、200〜1,200字で解説。特に詳述の必要な重要項目については12,000字を超すものもあり、詳細な情報が得られます。
- 資料編では、「映画の制作から配給まで」「世界映画史年表」「各国映画用語対照表」「映画研究基本参考文献」などの充実した資料を収め、巻末には「題名索引」「人名索引」「用語索引」を付しています。
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<本事典収録の内容とおもな項目> ※事典本編は、以下のような幅広い地域と分野をカバーし、採録した項目を50音順に配列してあります。
T.地域
東アジア
1 |
日本映画(岩波映画製作所、映画行政、映画批評、映倫、怪獣映画、怪談映画、活弁、歌舞伎と映画、旧劇映画、傾向映画、戦後記録映画論争、時代劇映画、シナリオ文学運動、純映画劇運動、小市民映画、松竹、新東宝、新派映画、大映、東映、東京国際映画祭、東宝、東宝喜劇、東宝争議、東宝特撮、日活、日活アクション、日活ロマン・ポルノ、日本アート・シアター・ギルド、任 映画、日本ニュース、日本ヌーヴェル・ヴァーグ、プロキノ、ホーム・ムーヴィー、満洲映画協会、山形国際ドキュメンタリー映画祭) |
2 韓国映画
3 北朝鮮映画
4 台湾映画
5 中国映画(第五世代映画人)
6 東南アジア映画(インドネシア映画、タイ映画、フィリピン映画、マレーシア映画)
7 香港映画(クンフー映画、武 映画)
8 モンゴル映画
西南アジア
1 インド映画
2 スリランカ映画
3 中近東映画(イスラエル映画、イラン映画、トルコ映画)
南北アメリカ
1 アメリカ映画(アカデミー賞、アジア系アメリカ映画、アメリカン・ニュー・シネマ、RKO、インディペンデント映画、MGM、ギャング映画、コロムビア、スター・システム、スクリューボール・コメディ、西部劇、スラップスティック・コメディ、ソフィスティケイティッド・コメディ、ダイレクト・シネマ、ディズニー、20世紀フォックス、ハリウッド・テン、ポピュリスト・コメディ、ユナイテッド・アーティスツ、ユニヴァーサル、ワーナー・ブラザーズ)
2 カナダ映画(カナダ国立映画制作庁)
3 中南米映画(アルゼンチン映画、キューバ映画、コロンビア映画、チリ映画、ブラジル映画、ペルー映画、メキシコ映画、ウカマウ集団、シネマ・ノーヴォ)
ヨーロッパ
1 アイルランド映画
2 イギリス映画(イーリング・コメディ、イギリス・ドキュメンタリー運動、007映画、
ブライトン派、フリー・シネマ)
3 イタリア映画(イタリア史劇、イタリア式喜劇、イタリア式西部劇、ヴェネツィア国際映画祭、映画実験センター)
4 オーストリア映画
5 オランダ映画
6 ギリシア映画
7 スイス映画
8 スペイン映画
9 ドイツ映画(ウーファ、オーバーハウゼン宣言、郷土映画、室内劇映画、新即物主義、絶対映画、山岳映画、デーファ、ナチ映画、ニュー・ジャーマン・シネマ、表現主義映画、プロレタリア映画、ベルリン国際映画祭)
10 東欧映画(アルバニア映画、チェコ/スロヴァキア映画、ハンガリー映画、ブルガリア映画、ポーランド映画、ユーゴスラヴィア映画、ルーマニア映画)
11 フランス映画(カイエ・デュ・シネマ、カメラ=万年筆、カンヌ国際映画祭、作家主義、シネマ・ヴェリテ、シュルレアリスム映画、前衛映画、ヌーヴェル・ヴァーグ、フィルム・ダール、フォトジェニー、リュミエール映画)
12 ベルギー映画
13 ポルトガル映画
14 北欧映画(スウェーデン映画、デンマーク映画、ノルウェー映画、フィンランド映画)
15 ロシア映画(ウクライナ映画、カザフ映画、グルジア映画、映画眼、モスフィルム、レンフィルム)
アフリカ
アフリカ映画(エジプト映画)
オセアニア
1 オーストラリア映画
2 ニュージーランド映画
U.人名
【監督】
アンゲロプロス、ヴィスコンティ、ウェルズ、エイゼンシテイン、D.W.グリフィス、ルネ・クレール、ゴダール、謝晋(シエ・チン)、タチ、タルコフスキー、チャップリン、ディズニー、ドライヤー、ヒッチコック、フェリーニ、フォード、ブニュエル、ブレッソン、ベルイマン、ホークス、ラング、リーフェンシュタール、ジャン・ルノワール、ルビッチ、ロッセリーニ、ワイダ、今井正、今村昌平、内田吐夢、小津安二郎、木下惠介、黒澤明、手塚治虫、成瀬巳喜男、マキノ雅広、溝口健二等々、故人から活躍中の中堅・若手までを含む世界の監督多数収録。
【俳優】
ジャン・ギャバン、ゲイリー・クーパー、マルレーネ・ディートリヒ、エリザベス・テイラー、カトリーヌ・ドヌーヴ、イングリッド・バーグマン、ジェラール・フィリップ、オードリー・ヘップバーン、マルチェロ・マストロヤンニ、マリリン・モンロー、ヴィヴィアン・リー、ソフィア・ローレン、市川雷蔵、田中絹代、長谷川一夫、原節子、三船敏郎等々、故人から活躍中の中堅・若手までを含む世界の俳優多数を収録。ほかに、製作、脚本、撮影、照明、美術、録音、音楽、編集等々の分野でも多数の人名を収録。
V.映画の種別
アクション映画、アニメーション映画、実験映画(アンダーグラウンド映画、構造映画、個人映画)、SF映画、音楽映画、科学映画、カルト映画、教育映画、喜劇映画、記録映画(ドキュメンタリー映画)、ニューズ映画、文化映画、小型映画、国策映画、黒人映画、児童映画、宗教映画、女性映画、戦争映画、探偵映画、同性愛映画(クイア・シネマ、ゲイ・レズビアン映画)、犯罪映画、美術映画、フィルム・ノワール、プログラム・ピクチュア、プロパガンダ映画、ポルノ映画、ミステリー映画、メロドラマ、ホームドラマ
W.歴史/批評/理論
映像、映画、映画前史、映画誕生、無声映画、トーキー映画
運動=イマージュ、イデオロギーと映画、映画学、映画社会学、映画と言語、映画の文法、映画理論、映像人類学、記号学と映画、古典的ハリウッド映画、視点、ジャンル、精神分析と映画、想像界/象徴界/現実界、フェミニズムと映画、複製芸術と映画、ポエジーとしての映画、モンタージュ、リアリズム
【諸芸術・メディアとの関係】
映画雑誌、演劇と映画、シェイクスピアと映画、ジャズと映画音楽、写真と映画、テレビと映画、ビデオと映画、文学と映画、漫画と映画
X.技術/装置/制度
映画撮影、映画音楽、映画技術、映画編集、映画館、映画美術、カメラ・アングル、カラー映画、コンピューター・グラフィックス、撮影所、ショット、スクリーンサイズ、デジタルと映画、メイキャップ、立体映画
映画学校、映画教育、映画検閲、映画の著作権、映画法、フィルム・アーカイヴ、フィルム・コミッション、レイティング・システム
【資料編】
資料として「映画の製作から配給まで」「世界映画史年表」「図版資料」「各国映画用語対照表」
「フィルムの映写時間とメートル数/フィート数の対照表」「日本の映画製作会社の系譜」「世界映画研究基本参考文献」を、巻末には「題名索引」「人名索引」「用語索引」を付す。
<監修にあたって> 岩 本 憲 児(日本大学芸術学部教授、早稲田大学名誉教授 、前日本映像学会会長)
世界の映画界を見わたしても、映画草創期から現在まで、日本が映画大国であったことは間違いないだろう。もっとも、ここで私が「映画大国」という言葉を使ったのは、ナショナリズムの誇示ゆえではない。そもそも、日本の映画界は長年、国家からの援助とはほとんど無縁に、その営みを築きあげてきたからである。文化庁からの制度的、財政的支援が始まったのは近年のことである。したがって、映画大国という言葉は、産業としての日本映画界が20世紀の初めから数多くの映画作品を製作し続けてきた、その持続した年月の長さと量的な数の多さ、そして数多の佳作群と国内外への影響力を指している。
長年におよぶ継続的な映画製作と、それを支えた多くの映画観客の存在は、映画を一大娯楽産業へ押し上げ、観客に大きな楽しみを与えただけでなく、夢、希望、励まし、安らぎ、現実への関心と注意、そして人間、歴史、文化の再発見など、観客の心に深い印象を残した作品が多くあったことも意味している。20世紀後半におけるテレビ全盛期以降、産業としての日本映画は守勢に立たされてはきたが、新しい映像メディアの台頭、普及とともに、商品、娯楽、作品、素材、資料としての映画や映像の需要はむしろ高まってきたともいえるだろう。たとえばビデオテープ、ビデオディスク、多チャンネル化へ向かうテレビ、ホームシアターでの利用、あるいは個々人の私的コンピューターや携帯端末のなかにさえ取り込まれていく映像など。
このような歴史と文化を持ち続けてきた日本映画に対して、私はかなり以前から、日本語による本格的な映画事典を編纂したいと思っていた。
本書の意義は、項目内容に関していずれも専門の研究者が執筆していることにある。映画に限らず、ネット時代のあふれる情報には、不正確な解説、間違った孫引き、見当違いの説明、事実誤認なども少なくはない。いずれの記述を信じていいのかわからない事例が数多くある。このような状況下で、できるかぎりの正確さと、専門分野の各執筆者の責任によって記述された本書は、信頼できる事典として大きな存在価値があると自負してよいだろう。すべての事項説明に執筆者名を記したのも、そのためである。また、人名収録に際しては、既存の事典類の劇映画中心主義を避け、記録映画(ドキュメンタリー映画)、文化映画、実験映画、アニメーション映画、さらには製作現場の人々、すなわち従来は俳優と監督にのみ照明が当てられがちだった傾向を改めて、製作(プロデューサー)、脚本、撮影、美術、照明、編集、音楽、録音、記録(スクリプター)、評論等々の領域にも留意した。さらに、映画の歴史、理論、イデオロギーや記号論、研究のトピック、制度、検閲、演劇や文学との関係など、個々の作品を超える事項にも目を配った。
本書が映画愛好者、製作に携わる人々、ジャーナリスト、多様な領域の研究者などに広く迎えられ利用されることを心から願っています。 世界の映画界を見わたしても、映画草創期から現在まで、日本が映画大国であったことは間違いないだろう。もっとも、ここで私が「映画大国」という言葉を使ったのは、ナショナリズムの誇示ゆえではない。そもそも、日本の映画界は長年、国家からの援助とはほとんど無縁に、その営みを築きあげてきたからである。文化庁からの制度的、財政的支援が始まったのは近年のことである。したがって、映画大国という言葉は、産業としての日本映画界が20世紀の初めから数多くの映画作品を製作し続けてきた、その持続した年月の長さと量的な数の多さ、そして数多の佳作群と国内外への影響力を指している。
長年におよぶ継続的な映画製作と、それを支えた多くの映画観客の存在は、映画を一大娯楽産業へ押し上げ、観客に大きな楽しみを与えただけでなく、夢、希望、励まし、安らぎ、現実への関心と注意、そして人間、歴史、文化の再発見など、観客の心に深い印象を残した作品が多くあったことも意味している。20世紀後半におけるテレビ全盛期以降、産業としての日本映画は守勢に立たされてはきたが、新しい映像メディアの台頭、普及とともに、商品、娯楽、作品、素材、資料としての映画や映像の需要はむしろ高まってきたともいえるだろう。たとえばビデオテープ、ビデオディスク、多チャンネル化へ向かうテレビ、ホームシアターでの利用、あるいは個々人の私的コンピューターや携帯端末のなかにさえ取り込まれていく映像など。
このような歴史と文化を持ち続けてきた日本映画に対して、私はかなり以前から、日本語による本格的な映画事典を編纂したいと思っていた。
本書の意義は、項目内容に関していずれも専門の研究者が執筆していることにある。映画に限らず、ネット時代のあふれる情報には、不正確な解説、間違った孫引き、見当違いの説明、事実誤認なども少なくはない。いずれの記述を信じていいのかわからない事例が数多くある。このような状況下で、できるかぎりの正確さと、専門分野の各執筆者の責任によって記述された本書は、信頼できる事典として大きな存在価値があると自負してよいだろう。すべての事項説明に執筆者名を記したのも、そのためである。また、人名収録に際しては、既存の事典類の劇映画中心主義を避け、記録映画(ドキュメンタリー映画)、文化映画、実験映画、アニメーション映画、さらには製作現場の人々、すなわち従来は俳優と監督にのみ照明が当てられがちだった傾向を改めて、製作(プロデューサー)、脚本、撮影、美術、照明、編集、音楽、録音、記録(スクリプター)、評論等々の領域にも留意した。さらに、映画の歴史、理論、イデオロギーや記号論、研究のトピック、制度、検閲、演劇や文学との関係など、個々の作品を超える事項にも目を配った。
本書が映画愛好者、製作に携わる人々、ジャーナリスト、多様な領域の研究者などに広く迎えられ利用されるこ
とを心から願っています。
<推薦します>
●信頼に足る道標 川崎賢子(メディア研究者、文芸・演劇評論家)
映像は映画館という空間を越えて氾濫し、映画についての情報も溢れている現在。鑑賞の対象としてだけではなく、歴史的史料として、研究対象として、また教育の現場で、映画の需要は増すばかりである。あるいはTVやインターネット上での二次使用などという問題もある。わたしたちはともすれば迷子になりそうだ。いったいどこから来てどこへ行くのか。正確な、そうして必要なデータをどこに求めればいいのか。現在進行中の事態に対応するのに従来の映画事典類は、欧米中心、劇映画偏重の傾向がありはしなかったか。表象としての映画、理論や研究上のトピックと、映画のイノベーション・技術的な側面(撮影・美術・照明・編集・録音)や諸制度など、映画を総合芸術たらしめている事柄とをうまく関連づけまとめることは困難なのか。などなどの不安もあり、不満も大きかった。そこに登場したのが今回の『世界映画大事典』である。構想12年、斬新な発想で項目を選択し、第一線の専門家が執筆した信頼に足る道標だ。さまざまな疑問に答えてくれる、読める辞典、使える事典になりそうで、たのもしい。
●新視点による映画展望への期待 佐藤忠男(映画評論家、日本映画学校校長)
映画に関して求められる基礎的な知識の領域は近年急速に拡大してきている。かつてはすぐれた映画を作れるのは一部先進諸国だけだと思われていたが、いまでは世界のほぼ全域に見るべき映画があることが分っているし、技術的発展も目ざましく、他の情報産業やメディアとのかかわり方も複雑に進化している。他方、フィルム・アーカイヴやDVDの発達で古典に接する機会も格段にふえたし、それを本格的に研究しようとしている若い研究者たちの数もかつてなく多い。
いまこそ、こうして拡大された新しい視点で映画のあり方の全体像を展望してみるべき絶好の時期であると思う。かつて見なれているように思っていた映画史も見違えるような新しい視野で見直されることであろうし、社会の文化全体の中での映画のありようについても目のさめるような発見が満ちているであろう。『世界映画大事典』に大きく期待する。
●世界言語としての映画 篠田正浩(映画監督、早稲田大学特命教授)
映画を人類が発明してから1世紀以上の時間が過ぎた。原子爆弾が爆発してからも60年以上がたった。その間にニューヨークにしかなかった摩天楼が上海にも聳え、キングコングもゴジラに進化した。映画はそれらに関与した人間の驚愕と不安と恐怖を映してきた。カミカゼ、親子殺し、ポルノグラフィー、9.11、さまざまなオリンピック、同性愛、台風、そしてさまざまな戦争も。ナポレオンもアレキサンダー大王もスターリン、毛沢東、そして織田信長も。
私は岩本憲児を知っている。彼が革命で帝政を打倒したロシアで芸術家がどのような体験をし、どのような世界体験をしたか、そしてそれらが現代の映画芸術にどのような影響をもたらしたかを熟知した研究者であることを知っている。その彼が関与した『世界映画大事典』が世に出ることに非常に期待している。映画は世界言語だ。
●心にのこる映画 鶴見俊輔(哲学者)
ずいぶん私が年をとってからだから、もちろん戦後、京都大学のホールで、『カリガリ博士』を見た。すりきれてはいたが感動はあざやかだった。
大正の末に、中学生だった埴谷雄高と丸山眞男は、まったくべつべつに、たがいにあいしらず、この映画を見て、ひとりは、やがて来る日本のファシズムへの抵抗に身を投じ、もうひとりはそれをくぐりぬけるなかで日本ファシズムを観察しつづけた。
戦後にたがいにあった両人は、この映画を回想して、とくに弁士の演技力に感心し、丸山は、「天才、徳川夢声!」と叫んでいる。
さらに70年後、同じ映画を見て、私は心に刻印をうたれた。2007年の日本国会中の政治家何者ぞ!
他にもすぐれた映画はある。戦争中に見た阪妻主演『無法松の一生』などなど。
●多領域を網羅した魅力ある事典 松本俊夫(映像作家、評論家)
ついに出たか、という感慨がよぎる。僕はこれまで映画で何かを調べるとき、『映画百科事典』(白揚社1954)と『新映画事典』(美術出版社1980)の世話になることが多かった。しかし、何といってもその後映画の環境や動向は激変し、作品や映画人も厖大に増えた。
『世界映画大事典』はそのズレを埋め、上記の二事典の長所を、今日の視点で統合しているようにも見える。
まず、扱っている国、人、ジャンルが大きく広がっている。映画の研究や批評についても展望できるし、映画の技術や制度的装置についても眼が向けられている。新しい年表や参考文献などが、豊富な資料として添付されているのも嬉しい。
さらにあえて強調すれば、これらが基本的に新世代の研究者や専門家によって執筆されているということも魅力の一つだろう。その意味でもこの大事典は、僕にとって今後欠かすことのできない座右の書となるにちがいない。 |
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